第3部
お金のことについて

5. 離島やへき地に住む人向けの制度を知る

体験談6

死ぬも生きるも100%全開

私は2004年の夏に浸潤性乳管がんと診断されました。腫瘍は約8㎝、リンパへの転移、余命1年と告げられました。治療方針は抗がん剤投与で、治療開始2週目には髪の毛は全部抜け落ち、吐き気との闘い、落ち着いた頃にまた次の抗ガン剤投与。気が付けば1年3ヵ月が経ち、やっと退院。久しぶりの我が家です!

子どもたちに寂しい思いをさせた分、明るく振る舞おうとしますが、現実は想像以上につらいものでした。放射線治療の後遺症で紫外線に当たると体が焼けるように痛く、カーテンを閉めきり、気分は落ち込みます。それでも家事をしなければならない毎日。

治療通院のため石垣島から沖縄本島、東京へと通いましたが、経済的にもだんだん苦しくなりました。そんなとき、同じがん患者さんからの情報で、沖縄本島への通院が必要な場合には渡航費や宿泊費の一部を市町村が助成することを知りました。これを活用することで経済的な負担も精神面でも楽になりました。

しかし5年後、治療によりがんは消滅したものと思っていましたが、左乳房に再発。左乳房も全摘手術となりました。ある日、同じ乳がんを克服した女性と話す機会があり、彼女は明るい笑顔でこう言いました。「誰でも奇跡を起こせる可能性はある。心が折れることも多々あるけど、つらいことはすべて忘れて、希望を持って前に進むしかない!」。再発に対する不安が強かった私は、地元で乳がん患者会を発足させました。月1回、お茶をしながらの患者同士の情報交換はとても貴重な時間でした。

今では「私はがんに負けない。必ず克服できる」と信じ、「死ぬも生きるも100%全開 」「命ある限り精一杯生きよう」と考えています。感染症の影響で仲間ともあまり会えませんが、「離れていても心はいつもそばに」 を胸に刻んで頑張る日々です。

(60代 女性)